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コテンラジオっていうラジオのやつ友達に勧められて多摩川散歩しながら聞いてた。
これから話すギリシアの史実とかは受け売りなんだけど、アウトプットしたくてブログに書きました。
今日のテーマは社会規範とか倫理で物事を見ることを辞めようということ。
言いたいことは、その人のある行動が良いとか悪いとかダメとかない。
ヒッピーだって引きこもりだって無職だって上場企業の役員だって総理大臣でもみんな一緒。
どれが偉いとかない。
どれが偉いかは国とか地域とか時代とかが決めてきた。
2020年5月時点日本の社会だと、社会的に総理大臣よりも無職の方がクズと言えるかもしれない。
でも、3000年前のギリシアのアテネでは暇なことこそが最も人生において大事なことであった。
紀元前1000年のアテネでは上記のどの生き方が社会規範的に素晴らしいと考えられたどうか。。
今の日本で自分達が今生きてる枠組みは今生きてる私達で選んだ訳じゃない。義務教育だって受けたいなんて言ったことないし、宗教に入りたいなんて言ったこともない。誰かが経済合理的とか慣習で決められたもの。
この社会規範に国民全員がマッチする訳はない。
コテンラジオだと、このマッチするかどうかが大切だと言っていて倫理とかではなくて時代にあってるかどうかが重要。
極端な話になってしまうけど、古代ギリシアのスパルタっていう国では通過儀礼として成人になると殺人をしなければならなかった。
しなければならないという言葉よりも、するのがその当時の当たり前のことだった。
スパルタは軍事国家であり、男は生まれたときから殺人マシーンとして作り上げられた。
その当時の社会で素晴らしいとされたことは多くの殺人をすることであり、現代で素晴らしいとされる行動とは真反対のことかもしれない。
私達はたまたまこの21世紀の社会の枠組みで生きているだけで長い何千年の時間軸で見たときのほんの一瞬でしかない。このほんの一瞬の中で、良いこととか悪いこととかダメなこととか勝手に枠組みを作って決定している。
おそらく数千年後の日本ではまた違った社会規範で人々が色々な物事を判断しているし、今では社会的に良いとされている事も、悪と言われることが無いなんて断言できるだろうか。
そんなことを思ってました。
思ったことを率直に書いてるので、話が右往左往してしまうのは許して下さい。
ではコテンラジオどんどん聴いていきます。