サピエンスの苦悩

人類はより豊かな社会を求め続けてきた。特に日本は高度に快適な社会だと習ってきたし実際にいくつか国を見てきても快適さや利便さで言えば世界1かもしれない。でもその豊かな社会で幸福度は高くないし自殺率も高い。

豊かさは新たな苦悩を呼び起こすと歴史が教えてくれるようだ。

狩猟採取生活から農業社会に移行した時、人々の生活は快適にはなった。が豊かにはならなかった。

定住することは放浪するよりもリスクが大きい。感染者の温床になったり、敵から攻められると生活基盤が失われてしまうし、なにより、労働という概念を生んでしまった。

その豊かさと苦悩セットの関係は今日まで続いているとユラルさんは言う。下記ユラルさんの本のサピエンス全史からの抜粋。

「より楽な暮らしを求めたら、大きな苦難を呼び込んでしまった。どれだけ多くの若い大学卒業生ががむしゃらに働いてお金を稼ぎ、35になったら退職して本当にやりたいことをやるのだと誓い、忙しい会社できつい仕事に就くことだろう。ところが35になったころには、多額のローンを抱え、子供たちを学校にやらねばならず、郊外の暮らしには1世帯に少なくとも2台の自動車が必要で、本当にいいワインと国外での高価なバカンス抜きでは人生は送り甲斐がないという感覚に付き纏われている。彼らはいったいどうしたらいいのか?植物の根を掘り返す生活に戻るのか?とんでもない。彼らはなおさら一生懸命取り組み、あくせく働くのだ。」と言っている。

生活水準は高くなっているはずなのに、幸福から遠ざかってしまう、こんなような現代人は少なからず身近にいるのではないだろうか。

豊かさと苦悩は共に発展していくと分かったけれども、さらに豊かさを求める今の資本主義社会は更なる苦悩を生んでいくだろう。

果たして私達が本当に求めるのはこれ以上の豊かさなのか、

私はブランド物とか欲しいと思わないし、車の名前も親父の車の名前くらいしか知らないし、時計とかスーツのブランドとかもよく知らない。物欲があんまりない。だからこそそんなに物っているかなって思うし、贅沢品とそれに伴う仕事とか必要なのかなと思う。

最後は話ずれたけど、自給自足で農業でもやろうかな。

今日は豊かさと苦悩の話でした。

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