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連帯責任の元の考え方となっていると考えられる、五人組制度。五人組は相互扶助、共同責任、監視を目的とした制度であり、ここに書いてある年代で言えば1597年に豊臣秀吉によって施行されたものである。

この連帯責任文化を作った豊臣秀吉!許さん。

そこは置いといて、ここからは完全に憶測になるが、元から日本人にはこの連帯責任の文化があったのかもしれない。そこを見抜いた秀吉が上手く地域の統率を取るためにこのような制度を作ったのかもしれない。

そしたら上手くハマってしまった、、という予測。 これは勝手な予測なので分からないが、連帯責任文化の歴史とか見ても面白いかもしれませんね。

ただここで僕が最も言いたかったことは、この連帯責任文化が1597年から400年以上受け継がれているということ。

400年間、組織感というものが変わってない。400年も組織はこうあるべきという考え方を受け継いできた。日本は本当に文化を受け継いでいくのがお上手であります。

この文化、現代に要りますか? この文化の押し付けを今やっている先生達は子供の頃同じ洗脳を受けてきた。だから間違ってるとか考えない。

文化は上手く受け継がれ、今に残ってしまった。遅くとも今からは辞めよう。もっとグループとか組織とかそういうのじゃなくて、個人主義的に生きよう。2020年度の国連による「世界幸福度報告書」によれば日本の幸福度は世界で62位である。GDPで世界第3位でありながら幸福度は62位。連帯責任に繋がる全体主義は人を幸せにしない。

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小学生の頃から連帯責任を押し付けられてきて、無意識的に個人主義ではなく全体主義の考え方を植え付けられる。個人の事よりも全体のことを優先する考え方は全体の利益(国益)を増加させるのに最も都合の良い考え方である。今は個人主義的な考え方がデフォルトになっている世の中でこのような教育を受けてきた。考えてみればおかしい。

全体主義といえば、程度は違うけどイタリアのファシストナチスドイツと一緒である。個人の自由は制限され、全体に従属を強制させられる全体主義は悪ではないだろうか。

今でも連帯責任などと義務教育や高等教育で教育しているとしたら恐怖極まりない。

特に、中学、高校での連帯責任の文化は根強いものがあった。特に体育系の部活ではその意識が顕著に表れる。部員の1人が問題を起こすとなぜか次の日罰走なるものをチーム全体で行わされる。

個人単位で説教すれば良いものを、全体で行う。運命共同体的意識を植え付け、協調性を加速させる。管理者にとってはこんな好都合な制度はない。チーム内では同調圧力が蔓延し、同じような考え方でなければならないと思い始める。日本の闇の部分。こういったルールに則って生きたきた。昨日までの24年間で個人を否定した全体主義的な資本主義に生きていくことを洗脳されてきたことは悲しいことである。資本主義の学校で生きていくことは出来ない。

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一回就活してた時の自分を思い出してみようと思ってこれを少し読んでみようと思う。

資本主義教育に洗脳されて思考停止でレールに敷かれた人生を本気で歩もうとしていた23歳までの自分を客観的に外側から見てみたい。

この著者は、「誰もがいい高校に行こうとし、誰もがいい大学に行こうとする。そしてあたかもいい会社という学校に入れば、自動的にハッピーにさせてくれるような、そんな錯覚を抱いている。」と言っている。日本の教育システムが生んだ経済にとって都合の良い考えた方だと思うし、そんなところに自分達の幸せは無い。結局ハッピーにならなかったら所属先の責任にして、一生大人になれない。

俺たちは大人じゃない。ただの大人ぶった子供である。

先日24歳の誕生日を迎えました。

新しい生きた自分になるために来年の4月1日までに今の会社を辞める

いわゆる現代の日本でいう良い会社とか言われるもので、1部上場で、年収よくて、福利厚生が整っている。

それだから良いって訳ではないって入社してようやく分かった。

今までの24年間偏差値教育に洗脳されてきただけだった。

心のvoiceが聞こえた。仕事の帰り道、なぞの涙が流れました。

自分の奥底にある深層心理が何かを訴えている。

アメリカではこのような出来事をvoiceというらしく、listen to your inner voiceとか言われるそう。

友達にそれを無視した時が死ぬ時だよって僕に言った。

感情はヒントだそう。

その友達は色んなことを知っていて勉強になってばっかり。

これからの約束された人生とかいうやつは俺からしたら退屈で生きた感覚のない人生のよう。

タイトルなし

 

学生時代も終わって新入社員として働き始めて早くも1ヶ月半が経とうとしている。新コロの影響もあって入社式はweb入社式となり、研修も勿論web研修。web研修は新入社員として必要最低限の情報のみであり、実務に関する研修等はほぼ何も受けていない状態で営業所に配属。どんな営業所なのか、どんな人がいて、どんな働き方をしているのか考えていたが、大方予想通りの人、雰囲気、働き方であったといま思う。研修等も受けていない中でOJT主体の形での業務が入社後1時間から始まったことには少し驚いたが……。この回で何かを伝えたい意図等が特にあるわけでは無くて、ただ颯爽と過ぎたとある新入社員の入社してからの1ヶ月を書きまとめたかった

メーカーの営業職として多摩近郊にある営業所に配属された訳であるが、最初に所長から聞いて驚いたことが最初の6ヶ月間は営業しないということ。所内業務(修理)をして10月から営業をする。新入社員の製品知識の勉強のために6ヶ月間も時間をくれることは良いこと?なのか悪いこと?なのか分かんないけど。他のメーカーの営業だと入社してまもなくカタログ片手に営業に出される事もあると言われていて、それに比べれば職場環境はマッチしてるのかなと思った。

修理は面白くはないし、つまらなくもないと言った感じである。仕事は基本的に受動的に言われていることをやるだけで、

何も面白いことはない。仕事を面白くするには、能動的に主体性をもって取り組むことが必要である。

その主体性を持つために必要なことは、自分の心がワクワクするような仕事を選ぶことだと思う。自分の気持ちがないと、主体性も無くて、ただ言われたことをやるだけになる。ただでさえつまらない仕事が更につまらなくなる!笑

ただ最初は能動的に出来ることなんて何もなくて、言われたことをただこなすだけの毎日。これはつまらない。最初のスタートは誰しも辛いものである。今までの23年間で大体ハジメタテノ頃は辛かったと思う。これから少しずつ能動的に何か出来ることを考えて仕事をすれば少しは楽しめるようになるのかなと考えたいと思った。